大阪行きは何番ホーム2015年01月10日 12:15

 この曲の吉田町の唄よろしく拓郎さんの私生活を感じさせる曲であります。
 最後(エンディングというのでしょうか?)の部分のハーモニカが長いので、それが何かを物語っているような気がしてなりません。
 初めて、FOREVER YOUNGを聞いたときには、この曲を何度も何度も聞いてしまいました。
 しかし、歌詞も考えてみると難しいですよね。
 
 この世の中に美しさがあるのなら
 きれいな事の方を選ぼうと
 やさしさや思いやりを投げ出して
 二人は違う旅に出ていった
 
 「きれいな事」っていったいなんなのでしょう?
 「やさしさ」や「思いやり」を投げ出して、、っていうのはいったい、、?

大いなる2015年01月10日 12:17

♪ロックンロールの響きがいい♪

 なんて「おい、お前はフォーク歌手じゃないのか」なんて変な違和感を感じていたりして、、、

♪いずれの道も 避けるな いつでも
 自分を 確かめろ
 大いなる人生 手助け無用♪
 
 この部分は大声で唄う(叫ぶ)わけですが、こうして書いてみるとこの歌詞の「いつでも」は、「避けるな」にかかっているのか?それとも「確かめろ」にかかっているのか?まあ、どっちでもいいのですけれど、、、
 「大いなる人生」という響きがまた、なんとも言えません。さて、と思い辞書を引いてみましたが、この「大いなる」という言葉は載っていませんでした。イメージではなんとなくわかっているつもりですが、言葉にしようと思うと考え込んでしまいます。
 で、唄の話に戻ると


♪立ち上がる時 噛みしめた ころんだ傷が癒える時
 男の夢をかなわさん 小さな声で 叫んだよ♪

 まあ、最後の歌詞となるわけですが、ちょっとあれって感じで終わります。私だけがそう感じているのかも知れませんけれど、、 
 自分に言い聞かせている。自分であるために、、自分の夢を持ち続けるために、、、自分を励ますために、、、
 小さな声は、自分だけに聞こえる声。

贈り物2015年01月10日 12:18

♪あの時 僕は こう思ってたんだ 君になのかをしてあげられる
 せめて歌ぐらいは唄ってあげられる 僕はギターを持ってたんだし♪
 相手に対し、何かをしてあげられる。というのはある意味、大切な事。まあ、それはとにかく、ギター小僧にとっては、その人のために歌を唄うってのは、なんか定番みたいな気がして、一度はやらなくちゃ。やっぱり場所は海かなあ、、とか考えてたりしてね。私の場合、そんな経験あります。他の人が見ていても平気で唄っているこの私の勇気。そして恥ずかしいから早くやめてという相手の視線。彼女が出来たらやってみたいことの一つだったんだろうな。今考えると、あのジュースにストロー2本刺して二人で飲むみたいな、、(私はやっていませんが、、)
 唄に戻りまして、何かをしてあげられる。なんてのは、案外自分一人の気休めだったりするのです。自分に対し無理をしちゃって、ここでまた、歌詞を引用すると「終わってたんだよ 何もかもが その時からみんなまちがいだらけさ」と、ある意味、背伸びすることなく、自然体でいられる相手、、そういう相手でないとダメです。この唄の中でも「捨てちまうよ 君のくれたものなんて」という歌詞があります。何を捨てるか?ということについては触れていませんが、きっと、それは本当に欲しかったものではないのです。
 とまあ、無理矢理こじつけたりして、、、

 先日ラジオで、前の彼氏(または彼女)からの贈り物を別れた後、どうしているか?というのをやっていました。
 結果は人それぞれ、、その人なりの意見はあるとしても、捨てる。とっておく(しまっておく)。当然今も使っている。彼氏(または彼女)に捨てられた(または捨てさせられた)という意見がでました。だいたい、そのどれかにあてはまるでしょう。まあ、前の人からの贈り物を使っているのを、新しい人がいい気持ちしない。というのも分かります。しかし、ここで、気になるのは、どうやってそれを見分けるか?というのもあると思うのです。例えば、女性が持つバッグ。これなんて、小遣いをためて買ったといえば分からないものではないでしょうか?まあ、ごまかせるかどうか、嘘はつかない。というのもそこにあるでしょうし、、、ここで、自分の経験から言うと、やはり、そういったもらいものは、邪険に扱われます。私が箱根の彫刻の森美術館に行って買ってきた「水道の蛇口の形をしたワイン抜き」(回す取っ手がワイン抜きになっている)は、自分が気に入って買ってきた。しかも男同士で行ってきた。と言っても信じてもらえず、邪険な扱いをされ、一人でワインを飲む時しか使えませんでした。その内に、コルクに刺すところが根元からポッキリ折れてしまいました。きっと邪険な扱いをされて、拗ねてしまったのでしょう。物自体には、なんの責任もないのですが、、

伽草子2015年01月10日 12:22

じゃーん。「伽草子」である。
 いきなり、いつもと違う書き出し。これに何かを感じた方がいらっしゃるだろうか?
 でも、いい曲ですよね。はっきり言って、、、
 とか、もったいつけるのはそれくらいにして、、、
 
 実は、うちの2才になったばかりの娘さん「お好み」の曲なのです。
 車のCDチェンジャーが入っていて、子供と出かける時には拓郎さんより童謡関係となるのですが、カミさんの話ですと、最近は「パパの唄!!」とリクエストが入るそうです。どうやら、

♪静かだねえ(ウーウ) 静かだねえ(ウーウ)

 のところだけ気に入っているらしい。(いいぞお!そんなふうに聴いているうちに他にもいい唄がいっぱいあることに気づき、気づいたときには拓郎ファンを名乗っているのだった。)

おやじの唄2015年01月10日 12:23

♪おやじが全てだなんて言いませんよ 僕一人でやったことだって沢山ありましたよ♪

 私が聞いた話ですと、この唄は、拓郎さんが、ある日、自分のラジオ番組で「ちょっと唄を作ってきたんですけど、、」と前置きして、弾き語りをした唄。と聞いています。
 拓郎さんのおやじさんが亡くなった直後のこと、、

 まあ、私も自分の父が早くに亡くなって、この唄を感慨深く唄ったりしているのですけれども、何を隠そう、実は、(とここで話は変わりますが)自分では、この唄を何を聴いて覚えたのか?定かではないのです。我が家にはこの唄のレコードもテープもありませんでした。いったいどうやって覚えたのだろう。友人が唄っているのを聴いて覚えたのだろうか?ただ、なんとなく、ギターを弾きながら唄っていたらそれなりに唄えてしまったのを覚えています。(それは、ちょっと人には聞かせられない、怪しいメロディーであったと思います)
 しかし、私に限らず、この唄を知っている人はなんとなく感じていてくれているのではないでしょうか?そう、「なんとなく唄えてしまう唄」なのではないか?拓郎さんの唄には、「これぞ拓郎」とうなってしまうメロディー(拓郎節とでもいうのか?体にしみ込んでしまったもの)があって、私にはこの唄もその一つなのではないか?と考えています。
 そう考えるのは私一人でしょうか?